ペテロの挫折と復活
- 2016/03/06
- 19:56
ルカ福音書22章55~62節、2016年.3/6
ルカによる福音書
22:31 シモン、シモン、見よ、サタンはあなた方を麦のようにふるいにかける事を願って許された。
22:32 しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたの為に祈った。それで、あなたが立ち直った時には、兄弟達を力づけてやりなさい」。
22:33 シモンが言った、「主よ、私は獄にでも、また死に至るまでも、あなたとご一緒に行く覚悟です」。
22:34 するとイエスが言われた、「ペテロよ、あなたに言っておく。きょう、鶏が泣くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」
22:55 人々は中庭の真ん中に火を焚いて、一緒に座っていたのでペテロもその中に座った。
22:56 すると、ある女中が、彼が火のそばにすわっているのを見、彼を見つめて、「この人もイエスと一緒にいました」と言った。
22:57 ペテロはそれを打ち消して、「わたしはその人を知らない」と言った。
22:58 しばらくして、ほかの人がペテロを見て言った、「あなたもあの仲間のひとりだ」。するとペテロは言った、「いや、それはちがう」。
22:59 約一時間たってから、またほかの者が言い張った、「たしかにこの人もイエスと一緒だった。この人もガリラヤ人なのだから」。
22:60 ペテロは言った、「あなたの言っていることは、わたしにわからない」。すると、彼がまだ言い終らぬうちに、たちまち、鶏が鳴いた。
22:61 主は振りむいてペテロを見つめられた。そのときペテロは、「きょう、鶏がなく前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われた主のお言葉を思い出した。
22:62 そして外へ出て、激しく泣いた。
今朝の聖書の箇所は、4つの福音書の全てに記されています…ペテロがイエス様を、「そんな人など知らない」と否認した重大な箇所です。この朝は、”ペテロの挫折と、彼がそこから、どのように信仰の復活をして行ったのか”について聴いて参ります。
ペテロが、”挫折の中から、立ち直れたのは、イエス様の背後の祈りがあったゆえ”でした…その後、初代教会のリ-ダ-となったペテロが、自分の恥をさらして語り継いだのは、この”恵み”でした。

十字架の前夜、イエス様は、「私は苦しみを受ける前に、あなた方と、この過越の食事を望んでいた。私は二度と、この過越の食事をしない」と言われ聖餐を行われたのです。(聖餐は、イエス様が十字架で流す血潮により、あなたの罪を赦し、そして守り、釘打たれ裂かれた肉体でにより、永遠の命を与える契約)
その時、一番弟子であったペテロは、あつくなって、「主よ、私は獄にでも、また死に至る迄も、あなたとご一緒に行く覚悟です」と言ったのですが、主は、「ペテロよ…今日、鶏が泣く迄に、あなたは三度、わたしを知らないと言うだろう」と答えられたのでした。
その後、イエス様は捕らえられ、大祭司カヤパの家に連れて行かれて、不法な裁判を受けられました。その時、ペテロは勇気を奮い立たせて、カヤパの庭に入って行き、人々と共に暖をとりながら、家の中で行われていた裁判の声を聞いていたのです。
沈痛な思いで聞いていたペテロに向かって、突然、女中が、「この人もイエスと一緒にいました」と言い出したのです…人は”大きな山には躓きませんが、小さな小石に躓き”ます。慌てたペテロも、この女性の一言に躓き、「イエス様など知らない」と言ってしまったのでした。マルコ福音書には、その時鶏が鳴いたとあります…1度目でした。

けれども、何故ペテロは、それほど慌てたのでしょうか?…”主の弟子である事がばれたら命が危ないと思ったから”でした…しかし、それなら、少し前に、イエス様を捕らえに来た、兵士の耳を、彼が切り落とした時点で捕まっていた筈です…”当局には、キリストを捕らえて処刑する事しか眼中になかった”のでした。
追い打ちをかけるように、あの女中が、「やっぱり、この人は、あの人達の仲間です」と言い出し、”ペテロは、再び、「いや、それはちがう」と言った”のです。
暫くして、今度は、居合わせた人が、「確かに、この人もイエスと一緒だった。この人もガリラヤ人なのだから」と言いました…ガリラヤなまりがあったからでしょう。
今度、ペテロは、”「あなたの言っている事は、私に分からない」と誓った”のでした…これは取り返しのつかない裏切りの罪であり、ペテロの人生最大の挫折でもありました。
その時、”鶏が再び鳴いた”のです。ペテロは、「鶏が二度(マルコ福音書)鳴く前に、あなたは三度、私を知らないと言うだろう」という、主の言葉を思い出し、外に出て”激しく泣いた”のでした。

ペテロ首位権の教会 ここでペテロが一番弟子と認められたが師を三度裏切り 後悔の後 復活した師と再び出合った場所
この出来事は、イエス様に従い抜く事は、人間の意志や力では出来ない”事を示しています…しかし、”人は挫折の中でしか、自分の力の限界を知る事が出来ないの”です。
裁判が終わり、冤罪を着せられたイエス様が連行されて行きました…”その時、主は振り返ってペテロを見つめられた”のです…”その眼差しは、悲しみつつも優しく包む眼差し”でした。
ここで、ペテロの失敗の原因を考えて見たいと思います…それは、”頑張り信仰”にありました…マルコ福音書14:29に、「たとえ、みんながつまずいても、私はつまずきません」と、ペテロが言ったとあります。その言葉には、”自分の頑張りに頼り、他人と比較するニュアンス”がありました…これが”頑張り信仰”です。
ペテロは、振り返られたイエス様の眼差しを見て、はじめて、”自分の信仰の歪みに気づいた”のでした…主に認められようとして、裏切るという挫折の中にいたペテロは、前に主が言われた、ルカ福音書22:32「しかし、私は、あなたの信仰がなくならないように、あなたの為に祈った。それで、あなたが立ち直った時には、兄弟たちを力づけてやりなさい」の言葉に込められた愛に気づいたのです。
「私は、あなたを、そのまま受け入れている。あなたを認めている。何処までも見捨てないよ」という主の愛を知ったのでした。その後、ペテロは、主の背後の祈りに拠り頼む者となり、やがて挫折から立ち直り、兄弟を力づける者に変えられた”のでした。

ここを読むと、以前、お祈り頂いた河渕兄の事を思い出します…彼は百万人の福音誌に載った私の証しを読んで、お手紙をくださった死刑囚の方です…文通が始まって数年が過ぎた、あの3.11の前日、最高裁判所で死刑が確定しました。
彼の母親は、離婚してから遊び歩き、放置された幼い兄弟は、ゴミ屋敷同然の部屋で、飼っていたペットが餓死ていくのを眺めながら、愛も躾も受けずに育ちました。
そして、思春期に出会ったヤクザの人を親のように思い、悪の道に染まって行き、仲間と共に複数の人をリンチで殺してしまったのです。如何なる事情があろうとも、殺人は裁かれ償わなければなりません。けれども、一方で、神は、御子イエスの十字架のゆえに、悔い改める全ての者を赦してくださるのです。

彼は獄中でキリストに出会い、その後、獄中伝道の中心人物になっていきました。私は、3度ほど面会に名古屋に行きました。その頃、彼は30代で、いつも普通のクリスチャン青年にしか見えないので、彼が犯した罪とのギャップに戸惑っていました。ある時、彼からの手紙に、「私は母を許しています…出来れば一度会って伝道したい」と書いてあったのです…その言葉を読んだ時、彼が本当に生まれ変わっていると確信したのでした。
ミッションスク-ルの北海道家庭学校(非行少年の更正を目指す学校)の校長の谷昌常先生は、生徒達に”「敵を愛しなさい」と言う”のだそうです。そこに入学して来る子ども達にとって、「敵」とは誰でしょうか?…それは、自分を非行に追い込だ親です。「酒乱の父や、自分を捨てた父母を許しなさい。愛しなさい」と語り続けておられるのです…”「敵を許す」のは信仰の中でも難しい事の1つ”です。

森の中にひっそりとたたずむ北海道家庭学校礼拝堂 北海道遠軽町/大正8年
一つ覚えておいて頂きたいのは、”愛は好きになる事でなく、受け入れる”という事です。
谷先生は、「挫折している人が立ち直る為には、敵を愛する(受け入れる)事を学ばなければ駄目なのだ。だから、あなたは親を愛しなさい」と言い続けておられるのです。
敵は、自分に対して不利益をもたらす者の事です…この時、イエス様は、自分を裏切って、挫折の中にいたペテロを受け留め、背後で祈っておられたのです…それが愛なのです。”復活されたイエス様は、今も、主を裏切って挫折する、私達の背後で祈って下さっています。ですから私達も、挫折から立ち直り、兄弟を力づける者となれる”のです。

礼拝インターネットライブと過去の映像 『USTREAM』岬教会礼拝

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