使徒信条・・・十六 「我は聖霊を信ず」①
- 2017/05/01
- 12:58
ヨハネ福音書14章16~18節、2017年4月30日
14:16 わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつ迄も、あなた方と共におらせて下さるであろう
14:17 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。
14:18 わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。
今朝から、使徒信条の第三部に入ります。第一部は、「神」、第二部は、「子なる神イエス・キリスト」、そして第三部は、「聖霊なる神」に対する信仰告白です…でも、聖霊とは、どんなお方か分からない方もおられると思います…答えは、”聖霊は霊なる神”という事です。

父・子・聖霊とは?
イエス・キリストが天に帰られる時、ルカ24:49「私の父(神)が約束されたものを、あなた方に送る」と言われました。そして”神が送って下さったのが、”聖霊”なのです。
では、そのお働きは何でしょうか?…それは、”私達の心に、イエス様がキリスト(救い主)だと示して救いを体験させ、御言の意味を開いて下さる事”です。
では、どうしたら、自分が聖霊を受けている事を知る事が出来るのでしょうか?…それは、イエス様が神に、「私の為に聖霊なる神を送って下さい」と求めた愛の祈りを信じる事によってです。今朝は、これ等の事をお話します。
世間で時折、「私はキリストを信じられない」という言葉をお聞きしますが、「聖霊を信じられない」とは聞いた事がありません。それはキリストを信じないと、人は聖霊なる神を考える事さえ出来ないからです。聖書は最初から聖霊について語っています。創世記1:1~3に、「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、闇が淵のおもてにあり、”神の霊”が水のおもてを覆っていた」とあります…ここの”水の面を覆っていた神の霊こそが聖霊”なのです。それから旧約聖書、新約聖書に、次々と聖霊について記述されています。

以前にもお話しましたが、ここで、もう一度、三位一体の神についてお話をします…創世記の天地創造の箇所に、「我々のかたちに、我々にかたどって人をつくり」とあります。ここの「我々」は、”三位一体の神である、父なる神、子なる神キリスト、聖霊なる神”です。
しばしば、三位一体の神の説明に、太陽と水が用いられます。私も用いています。三位一体の神という理解しがたい事の理解の助けとなるからです…”太陽は1つですが、光と熱とエネルギーという三つの現れ方をします。水は温度で、氷、水、水蒸気と現れ方も性質も違う”と言う事を通して説明する方法です。
けれども、この説明には欠陥があります。その欠陥は、「様態論」と勘違いする危険がある事です…様態論というのは、”父、キリスト、聖霊は、1つの人格を持つ神が、旧約聖書時代は父なる神、新約聖書時代はキリスト、そしてキリストの昇天後は聖霊として現れた”という考え方です。
教会は、この考え方を異端として退けました。何故なら、”三位一体の神は、一つの人格でなく、別々の人格でありながら、一つの存在であると説明できないから”です。
決定的な事は、イエス・キリストが最後の晩餐で、「私は父にお願いして、父にもう一人の助け主を送って頂きます」(ヨハネ14:16)といわれた事です…ここで主が、”「もう一人の助け主を求めた」と言われたのは、聖霊という神の事”です。”聖霊は、「エネルギー(力)」だけでなく、イエス様のような、もう一人の別人格を持ったの助け主”という事です。
次に、”聖霊の助け”についてお話します…先ず、”「共にいて下さる」という助け”です…主が弟子達と共にいて下さったように、”聖霊も共にいてくださり、同時に、私達の内にいてくださる”のです…コップを池に投げると、コップが池の水の中に入り、コップの中にも水が入ります。”池が聖霊でコップが私達”です。聖霊は、それ程、一体となってくださるので、「あなたを孤児としない」というのです。

マタイ福音書18:20に、こんなイエス様のお話があります。「二人または三人が、私の名によって集まっている所には、私もその中にいる」…これは、”教会の交わりの中に、聖霊がおられる”という事です。”聖霊は教会を、イエス様を頭とする、キリストのお躰として下さり、許しあい、愛しあい、受け入れ合って、一つとなる愛を下さる”のです…それゆえ私達は
”神の家族”となれるのです。その聖霊は、今日、行われる教会総会にも働かれます。
次の聖霊の助けは、「慰め」です。「聖霊」には「慰め主」という意味もあり、「そこに呼ばれてきた者」という意味もあります…つまり、”聖霊は慰めを必要とする者に呼ばれて来て、傍らに立ち、慰めて助け”をくださると言うのです。
では、聖霊は、どのように私達を慰めて下さるのでしょうか?…その答えが、ヨハネ14:26です。「助け主、即ち、父(神)が、私(キリスト)の名によって遣わされる聖霊は、あなた方に全ての事を教え、また私(キリスト)が話しておいた事を、尽く思い起させるであろう」とあります…”聖霊は、弟子達の心の目を開かせ、イエス様が救い主だとハッキリ教えたように、私達の心にも、「イエス様が救い主だ」と教え救いに導くのです。また、キリストの御言を思い起こさせ、助けて慰めて下さる”のです。言い換えれば、”二千年前のイエス様の十字架の力や復活を、今の私達の救いと希望にして下さる”のです。救われた者には、使徒行伝にあるような、神の生ける御業を見せ、心を満たし、熱くし解放して下さるのです。ですから、”「聖霊を信ずる」事は、キリストの救いが、今、自分にも成就すると信じる事”でもあるのです。
けれども、神やイエス・キリストと違って、聖霊なる神は、どうしても捉え所が無いように感じます…ヨハネ3:3~8に、イエス様がニコデモに対して、そんな聖霊について語られた記述があります。「イエスは答えて言われた、『よくよくあなたに言っておく。誰でも新しく生れなければ…誰でも水と霊とから生れなければ神の国に入る事はできない。肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である』…風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこから来て、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者も、それと同じである」。

ここで、イエス様は、”聖霊を風に譬え”られました。この「風」は「霊」と訳しても良いので、”聖霊を指し”ています。また「風」には「息」という意味もあります。”天地創造の時、神がアダムを造られ、息を吹き込み命ある者とした息”です…聖霊は風のように見えないけれども、私達に吹き込んできて、新しい命を与えて下さるのです。
では、どうしたら、その聖霊を受けられる事が出来るのでしょうか?…答えは、”Ⅰコリント12:13にあります。「聖霊によらなければ、『イエスは主である』という事ができない」とあるように、”イエス様を信じる”事す。聖霊に満たされ続ける為には、イエスを主とする事です。

では、どうしたら、与えられている聖霊を自覚出来るのでしょうか?…イエス様は、ヨハネ14:16で、「私は父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつ迄も、あなた方と共におらせて下さるであろう」と言われました。この「主が自分の為に、聖霊を神に求めて下さった」と信じる事であります…私達は、このイエス様の祈りを信じるのです…そして私達に与えられている、聖霊の満たしを祈り求めるのです。
礼拝インターネットライブと過去の映像 『USTREAM』岬教会礼拝


14:16 わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつ迄も、あなた方と共におらせて下さるであろう
14:17 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。
14:18 わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。
今朝から、使徒信条の第三部に入ります。第一部は、「神」、第二部は、「子なる神イエス・キリスト」、そして第三部は、「聖霊なる神」に対する信仰告白です…でも、聖霊とは、どんなお方か分からない方もおられると思います…答えは、”聖霊は霊なる神”という事です。

父・子・聖霊とは?
イエス・キリストが天に帰られる時、ルカ24:49「私の父(神)が約束されたものを、あなた方に送る」と言われました。そして”神が送って下さったのが、”聖霊”なのです。
では、そのお働きは何でしょうか?…それは、”私達の心に、イエス様がキリスト(救い主)だと示して救いを体験させ、御言の意味を開いて下さる事”です。
では、どうしたら、自分が聖霊を受けている事を知る事が出来るのでしょうか?…それは、イエス様が神に、「私の為に聖霊なる神を送って下さい」と求めた愛の祈りを信じる事によってです。今朝は、これ等の事をお話します。
世間で時折、「私はキリストを信じられない」という言葉をお聞きしますが、「聖霊を信じられない」とは聞いた事がありません。それはキリストを信じないと、人は聖霊なる神を考える事さえ出来ないからです。聖書は最初から聖霊について語っています。創世記1:1~3に、「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、闇が淵のおもてにあり、”神の霊”が水のおもてを覆っていた」とあります…ここの”水の面を覆っていた神の霊こそが聖霊”なのです。それから旧約聖書、新約聖書に、次々と聖霊について記述されています。

以前にもお話しましたが、ここで、もう一度、三位一体の神についてお話をします…創世記の天地創造の箇所に、「我々のかたちに、我々にかたどって人をつくり」とあります。ここの「我々」は、”三位一体の神である、父なる神、子なる神キリスト、聖霊なる神”です。
しばしば、三位一体の神の説明に、太陽と水が用いられます。私も用いています。三位一体の神という理解しがたい事の理解の助けとなるからです…”太陽は1つですが、光と熱とエネルギーという三つの現れ方をします。水は温度で、氷、水、水蒸気と現れ方も性質も違う”と言う事を通して説明する方法です。
けれども、この説明には欠陥があります。その欠陥は、「様態論」と勘違いする危険がある事です…様態論というのは、”父、キリスト、聖霊は、1つの人格を持つ神が、旧約聖書時代は父なる神、新約聖書時代はキリスト、そしてキリストの昇天後は聖霊として現れた”という考え方です。
教会は、この考え方を異端として退けました。何故なら、”三位一体の神は、一つの人格でなく、別々の人格でありながら、一つの存在であると説明できないから”です。
決定的な事は、イエス・キリストが最後の晩餐で、「私は父にお願いして、父にもう一人の助け主を送って頂きます」(ヨハネ14:16)といわれた事です…ここで主が、”「もう一人の助け主を求めた」と言われたのは、聖霊という神の事”です。”聖霊は、「エネルギー(力)」だけでなく、イエス様のような、もう一人の別人格を持ったの助け主”という事です。
次に、”聖霊の助け”についてお話します…先ず、”「共にいて下さる」という助け”です…主が弟子達と共にいて下さったように、”聖霊も共にいてくださり、同時に、私達の内にいてくださる”のです…コップを池に投げると、コップが池の水の中に入り、コップの中にも水が入ります。”池が聖霊でコップが私達”です。聖霊は、それ程、一体となってくださるので、「あなたを孤児としない」というのです。

マタイ福音書18:20に、こんなイエス様のお話があります。「二人または三人が、私の名によって集まっている所には、私もその中にいる」…これは、”教会の交わりの中に、聖霊がおられる”という事です。”聖霊は教会を、イエス様を頭とする、キリストのお躰として下さり、許しあい、愛しあい、受け入れ合って、一つとなる愛を下さる”のです…それゆえ私達は
”神の家族”となれるのです。その聖霊は、今日、行われる教会総会にも働かれます。
次の聖霊の助けは、「慰め」です。「聖霊」には「慰め主」という意味もあり、「そこに呼ばれてきた者」という意味もあります…つまり、”聖霊は慰めを必要とする者に呼ばれて来て、傍らに立ち、慰めて助け”をくださると言うのです。
では、聖霊は、どのように私達を慰めて下さるのでしょうか?…その答えが、ヨハネ14:26です。「助け主、即ち、父(神)が、私(キリスト)の名によって遣わされる聖霊は、あなた方に全ての事を教え、また私(キリスト)が話しておいた事を、尽く思い起させるであろう」とあります…”聖霊は、弟子達の心の目を開かせ、イエス様が救い主だとハッキリ教えたように、私達の心にも、「イエス様が救い主だ」と教え救いに導くのです。また、キリストの御言を思い起こさせ、助けて慰めて下さる”のです。言い換えれば、”二千年前のイエス様の十字架の力や復活を、今の私達の救いと希望にして下さる”のです。救われた者には、使徒行伝にあるような、神の生ける御業を見せ、心を満たし、熱くし解放して下さるのです。ですから、”「聖霊を信ずる」事は、キリストの救いが、今、自分にも成就すると信じる事”でもあるのです。
けれども、神やイエス・キリストと違って、聖霊なる神は、どうしても捉え所が無いように感じます…ヨハネ3:3~8に、イエス様がニコデモに対して、そんな聖霊について語られた記述があります。「イエスは答えて言われた、『よくよくあなたに言っておく。誰でも新しく生れなければ…誰でも水と霊とから生れなければ神の国に入る事はできない。肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である』…風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこから来て、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者も、それと同じである」。

ここで、イエス様は、”聖霊を風に譬え”られました。この「風」は「霊」と訳しても良いので、”聖霊を指し”ています。また「風」には「息」という意味もあります。”天地創造の時、神がアダムを造られ、息を吹き込み命ある者とした息”です…聖霊は風のように見えないけれども、私達に吹き込んできて、新しい命を与えて下さるのです。
では、どうしたら、その聖霊を受けられる事が出来るのでしょうか?…答えは、”Ⅰコリント12:13にあります。「聖霊によらなければ、『イエスは主である』という事ができない」とあるように、”イエス様を信じる”事す。聖霊に満たされ続ける為には、イエスを主とする事です。

では、どうしたら、与えられている聖霊を自覚出来るのでしょうか?…イエス様は、ヨハネ14:16で、「私は父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつ迄も、あなた方と共におらせて下さるであろう」と言われました。この「主が自分の為に、聖霊を神に求めて下さった」と信じる事であります…私達は、このイエス様の祈りを信じるのです…そして私達に与えられている、聖霊の満たしを祈り求めるのです。
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