神の愛を学ぶ結婚
- 2018/02/26
- 09:05
一コリント7:8~17、7:23~24、2018年2月25日
7:8 次に、未婚者たちとやもめ達とに言うが、わたしのように、一人でおれば、それが一番良い。
7:9 しかし、もし自制する事ができないなら、結婚するがよい。情の燃えるよりは、結婚する方が、よいからである。
7:10 更に、結婚している者達に命じる。命じるのは、私ではなく主であるが、妻は夫から別れてはいけない。
7:11 (しかし、万一別れているなら、結婚しないでいるか、それとも夫と和解するかしなさい)。また夫も妻と離婚してはならない。
7:12 そのほかの人々に言う。これを言うのは、主ではなく、わたしである。ある兄弟に不信者の妻があり、そして共にいることを喜んでいる場合には、離婚してはいけない。
7:13 また、ある婦人の夫が不信者であり、そして共にいる事を喜んでいる場合には、離婚してはいけない。
7:14 なぜなら、不信者の夫は妻によってきよめられており、また、不信者の妻も夫によって聖められているからである。もしそうでなければ、あなた方の子は汚れている事になるが、実際はきよいではないか。
7:15 しかし、もし不信者の方が離れて行くのなら、離れるままにしておくがよい。兄弟も姉妹も、こうした場合には、束縛されてはいない。神は、あなたがたを平和に暮させる為に召されたのである。
7:16 なぜなら、妻よ、あなたが夫を救いうるかどうか、どうしてわかるか。また、夫よ、あなたも妻を救いうるかどうか、どうしてわかるか。
7:17 ただ、各自は、主から賜わった分に応じ、また神に召されたままの状態にしたがって、歩むべ
きである。これが、すべての教会に対してわたしの命じる所である。
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7:23あなた方は代価を払って買いとられたのだ。人の奴隷となってはいけない。
7:24 兄弟たちよ。各自は、その召されたままの状態で、神の御前にいるべきである。
命題:結婚は、二人が一つ心になる為に、神の愛を祈り求め、救われた時、与えられた新しい自分を受け取る場である。そこで伴侶を愛し、神の愛を伝える者と変えられる。
今朝は、急遽、礼拝に続いて洗礼式を行う事になりました。先週、礼拝後に救いの恵みにあずかられたO姉がご病気をお持ちだからです。O姉は、今朝、洗礼により神の子とされます…この恵みは、キリストの身体(教会=キリストを信じる共同体)として加えられる事、更に言うと、キリストの花嫁とされる事です。キリストは花嫁である教会を愛して聖霊を注ぎ、神の愛と力で守られます。更に、天国まで導かれるのです。この洗礼によってO姉も聖霊を受け、霊の縛りから完全に解放され、更に、身体も癒されると信じます。皆さんも、祈りを合わせて洗礼式に臨んでください。

さてクリスチャンは、誰かを好きになって結婚を考える時、「この人は神の御心の人だろうか?」と考えると思います。相手がノンクリスチャンだった場合、なお切実です。そうした中でパウロの「私のように、一人でいれば、それが一番良い」と言われると困ってしまいます。
何時も「福音が言っている真理はこうである」と言い切っているパウロが、ここの7:10で「命じるのは私でなく主である」と言ったり、7:12では、「これを言うのは、主ではなく私である」とブレているのは何故でしょうか?…それは、コリントという、特別に風紀が乱れた港町で罪に汚染されていた教会に向けて、彼の考えも含めて具体的に語っていたからです。
また、当時は都市国家と言って、戦国時代のようにコリントの町も一つの国でした。この書が書かれた数十年後に、実際にローマに攻撃されたのです。パウロは、その不穏な空気を察していたので、危機的状況下で、「出来れば結婚しない方が良い」などの特別な言葉を語ったのでした…今朝は、「召された時の状態で、神の御前に留まっていなさい」という変わらない真理から、「神の愛を学ぶ結婚」についてお話します。

今も残るコリント遺跡の城壁跡
先日の平昌オリンピックの女子パシュートで、日本人の4人の女性が金メダルを取りました…この競技パシュートは4人が一丸になって、3人が走り、全員が一丸にならなければ勝てないそうです。パウロは7:10でクリスチャンの夫婦に対し、「別れてはいけない」と言いました…”結婚の本質は、一人の男性と女性が神の御前で結ばれ一体になる事”です…これは、”心が一体(一丸)になる”という事です。
けれども、コリントは性が乱れており、ただ欲望を満たすだけの男女関係や、安易な離婚が横行し、サタンがそこをつけ狙っていたのでした。
その事を、6:2「不品行に陥るよりは…夫を持ち、妻を持つが良い」や、7:5「自制力のないのに乗じて、サタンに誘惑されるよりは結婚した方が良い」と言っているのです。
実は、”結婚の奥義は、創世記のエバ(最初の女性)の創造の所に記され”ています…神は、他の動物を雄と雌の一対で造られたのに、人間だけ、アダム(最初の男性)だけを造られたのです…アダムが先に造られたから、男が偉いというのは間違った解釈です。これは、。”男と言うよりも、人は神と心の交わりをする存在として、特別に造られた事を意味”しています…ですから人間だけが心が渇き、神を求めて神を礼拝するのです…けれどもアダムを御覧になった神が、「人が一人でいるのは良くない。ふさわしい助け手を造ろう」と思われ、アダムを深く眠らせ、あばら骨を一つ取り出してエバを造られたのでした。これは、アダムのあばら骨の一つを折って造られたという事です…という事は、”二人の骨は、切り口が同じなのでピタッと一つに戻り”ます…これは、”お互いを神が合わせてくださった伴侶と信じる事によって、二人が一つ心になる結婚の奥義を象徴”しているのです。男(イーシュ)と女(イーシャ)は、原語では似た発音です。これは男性形と女性形の読み方の違いです…つまり男女は同じもので、お互いを補い合う為、違う性質を持つ者として造られたという事なのです。
ですから、”聖書が、この夫婦の一つ心になる事を、神と人との愛の交わりになぞらえている”のです。パウロが、10~11節で「別れてはいけない。離婚してはいけない」と言ったのは、”夫婦は一つ心になれる、この世で唯一の存在だから”です。
けれども現実は、サラリーマン川柳をご紹介します。「『今帰る』妻より返信『まだいいよ』」…背筋が冷やっとする川柳ですが、これが現実かも知れません?…もし私達が好きという感情だけを土台に結婚するなら、その土台は余りにも脆いからです。何故なら、「好きは、『あなたの…が好き』と条件があるから」です。そこが崩れたら土台が揺れるのです。人生には山や谷がありますから、そんな不安定な土台の二人が乗り越えられるでしょうか?…心配です。

ミケランジェロ・ブオナローティによるイヴの創造を描いたシスティーナ礼拝堂天井画
私は結婚前カウンセリングをします。そこで、「結婚式は、恋愛のお葬式であり、愛の誕生日である」」とお話しする事があります…昔、あるアンケートを見ました。心が一つだと感じている夫婦は何パーセント?…たった5%でした。ですから結婚は、信仰によって神の愛(無私の愛・無条件の愛)を頂いて、相手を許し、受け入れ、補う事を学ぶ場(道場)だと思うのです…この祝福は、ご家族、隣人へと及んで行きます。
それでは、夫婦共に信仰が無ければダメじゃないかと思います…けれどもパウロは、7:4で「不信者の夫は妻によって聖められており、また、不信者の妻も夫によって聖められている」と言いました…夫婦の内、どちらかがクリスチャンで、神の愛におれば、やがて相手は、神に捉えられ救われるというお約束なのです。素晴らしい恵みです。
7:17では、「ただ各自は、主から賜わった分に応じ、また神に召されたままの状態に従って歩むべきである」…7:17、7:24に”召されたままの状態”とあります…それは、”救われた時に与えられた状態…十字架で罪が赦され救われた状態。罪の奴隷から解放された状態、魂が回復された状態”。もっと言えば、キリストの愛に満たされた新しくされた魂です…その新しくされた自分を、もっと与えてくださいと祈り求めなさいという事です…それが「留まりなさい」です。

7:23~24「あなた方は代価を払って買いとられたのだ。人の奴隷となってはいけない。兄弟たちよ。各自は、その召されたままの状態で、神の御前にいるべきである」とあります…パウロは、「人の奴隷になってはいけない」と言ったのです…つまり、「妻は夫の奴隷になってはいけない。夫も妻の奴隷になってはいけない。あなた方は、キリストの十字架の血潮によって、永遠の滅びから買い取られた尊い者だ。神から自由と愛を頂いたのだ。もう、あなたは神のものだ。だから、あなた方は、主を愛し仕えようとする伴侶を束縛してはいけない。共に主の愛に留まり、二人が一致し、神の栄光を現しなさい」と言ったのです。
ですから、教会は、未婚の方々が神の御心の相手と出会い結婚できるように祈りましょう。既婚者の方々も、ご自分の結婚を見直し聖別して頂きたいと思います。
このメッセージの準備の為、小林和夫師の本を読んでいましたら、村上宣道師の証が載っていました。娘さんが、米国のフラー神学校の大学院で学位を取られました。その論文の題が、「理想的な家庭の建設」だったそうです。娘さんは、「ただ、パパとママを見ていて、そのまま書いただけだよ」と言われたそうです。それを読んで、「私は、まだそうなっていない…心をイエス様に明け渡し切るのを阻んでいる心の傷がまだある」と示され、真夜中の悔い改めへと導かれました…「主よ、あの救われた時に、イエス様に似た者として回復してくださった新しい魂を、もっと与えてください。聖霊なる神さま、十字架の血潮で、回復された魂を、もっと与えて下さい」と祈りました。これからも祈り続けるつもりです。そこで、神の愛に生きる者に変えられる。そこから妻や夫を愛する者、家族を愛する者、神の愛を宣教する者に変えられるからです。

村上 宣道(むらかみ のぶみち、1933年10月6日 - )は、日本の牧師、ラジオ牧師、神学校教師。 経歴[編集]. 満州生まれ、山形県で育つ。東京聖書学院卒業、ウィリアム・ジェサップ大学およびゴールデンゲートバプテスト神学校にて学ぶ。 日本ホーリネス教団、坂戸キリスト教会牧師; 太平洋放送協会理事長。
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7:8 次に、未婚者たちとやもめ達とに言うが、わたしのように、一人でおれば、それが一番良い。
7:9 しかし、もし自制する事ができないなら、結婚するがよい。情の燃えるよりは、結婚する方が、よいからである。
7:10 更に、結婚している者達に命じる。命じるのは、私ではなく主であるが、妻は夫から別れてはいけない。
7:11 (しかし、万一別れているなら、結婚しないでいるか、それとも夫と和解するかしなさい)。また夫も妻と離婚してはならない。
7:12 そのほかの人々に言う。これを言うのは、主ではなく、わたしである。ある兄弟に不信者の妻があり、そして共にいることを喜んでいる場合には、離婚してはいけない。
7:13 また、ある婦人の夫が不信者であり、そして共にいる事を喜んでいる場合には、離婚してはいけない。
7:14 なぜなら、不信者の夫は妻によってきよめられており、また、不信者の妻も夫によって聖められているからである。もしそうでなければ、あなた方の子は汚れている事になるが、実際はきよいではないか。
7:15 しかし、もし不信者の方が離れて行くのなら、離れるままにしておくがよい。兄弟も姉妹も、こうした場合には、束縛されてはいない。神は、あなたがたを平和に暮させる為に召されたのである。
7:16 なぜなら、妻よ、あなたが夫を救いうるかどうか、どうしてわかるか。また、夫よ、あなたも妻を救いうるかどうか、どうしてわかるか。
7:17 ただ、各自は、主から賜わった分に応じ、また神に召されたままの状態にしたがって、歩むべ
きである。これが、すべての教会に対してわたしの命じる所である。
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7:23あなた方は代価を払って買いとられたのだ。人の奴隷となってはいけない。
7:24 兄弟たちよ。各自は、その召されたままの状態で、神の御前にいるべきである。
命題:結婚は、二人が一つ心になる為に、神の愛を祈り求め、救われた時、与えられた新しい自分を受け取る場である。そこで伴侶を愛し、神の愛を伝える者と変えられる。
今朝は、急遽、礼拝に続いて洗礼式を行う事になりました。先週、礼拝後に救いの恵みにあずかられたO姉がご病気をお持ちだからです。O姉は、今朝、洗礼により神の子とされます…この恵みは、キリストの身体(教会=キリストを信じる共同体)として加えられる事、更に言うと、キリストの花嫁とされる事です。キリストは花嫁である教会を愛して聖霊を注ぎ、神の愛と力で守られます。更に、天国まで導かれるのです。この洗礼によってO姉も聖霊を受け、霊の縛りから完全に解放され、更に、身体も癒されると信じます。皆さんも、祈りを合わせて洗礼式に臨んでください。

さてクリスチャンは、誰かを好きになって結婚を考える時、「この人は神の御心の人だろうか?」と考えると思います。相手がノンクリスチャンだった場合、なお切実です。そうした中でパウロの「私のように、一人でいれば、それが一番良い」と言われると困ってしまいます。
何時も「福音が言っている真理はこうである」と言い切っているパウロが、ここの7:10で「命じるのは私でなく主である」と言ったり、7:12では、「これを言うのは、主ではなく私である」とブレているのは何故でしょうか?…それは、コリントという、特別に風紀が乱れた港町で罪に汚染されていた教会に向けて、彼の考えも含めて具体的に語っていたからです。
また、当時は都市国家と言って、戦国時代のようにコリントの町も一つの国でした。この書が書かれた数十年後に、実際にローマに攻撃されたのです。パウロは、その不穏な空気を察していたので、危機的状況下で、「出来れば結婚しない方が良い」などの特別な言葉を語ったのでした…今朝は、「召された時の状態で、神の御前に留まっていなさい」という変わらない真理から、「神の愛を学ぶ結婚」についてお話します。

今も残るコリント遺跡の城壁跡
先日の平昌オリンピックの女子パシュートで、日本人の4人の女性が金メダルを取りました…この競技パシュートは4人が一丸になって、3人が走り、全員が一丸にならなければ勝てないそうです。パウロは7:10でクリスチャンの夫婦に対し、「別れてはいけない」と言いました…”結婚の本質は、一人の男性と女性が神の御前で結ばれ一体になる事”です…これは、”心が一体(一丸)になる”という事です。
けれども、コリントは性が乱れており、ただ欲望を満たすだけの男女関係や、安易な離婚が横行し、サタンがそこをつけ狙っていたのでした。
その事を、6:2「不品行に陥るよりは…夫を持ち、妻を持つが良い」や、7:5「自制力のないのに乗じて、サタンに誘惑されるよりは結婚した方が良い」と言っているのです。
実は、”結婚の奥義は、創世記のエバ(最初の女性)の創造の所に記され”ています…神は、他の動物を雄と雌の一対で造られたのに、人間だけ、アダム(最初の男性)だけを造られたのです…アダムが先に造られたから、男が偉いというのは間違った解釈です。これは、。”男と言うよりも、人は神と心の交わりをする存在として、特別に造られた事を意味”しています…ですから人間だけが心が渇き、神を求めて神を礼拝するのです…けれどもアダムを御覧になった神が、「人が一人でいるのは良くない。ふさわしい助け手を造ろう」と思われ、アダムを深く眠らせ、あばら骨を一つ取り出してエバを造られたのでした。これは、アダムのあばら骨の一つを折って造られたという事です…という事は、”二人の骨は、切り口が同じなのでピタッと一つに戻り”ます…これは、”お互いを神が合わせてくださった伴侶と信じる事によって、二人が一つ心になる結婚の奥義を象徴”しているのです。男(イーシュ)と女(イーシャ)は、原語では似た発音です。これは男性形と女性形の読み方の違いです…つまり男女は同じもので、お互いを補い合う為、違う性質を持つ者として造られたという事なのです。
ですから、”聖書が、この夫婦の一つ心になる事を、神と人との愛の交わりになぞらえている”のです。パウロが、10~11節で「別れてはいけない。離婚してはいけない」と言ったのは、”夫婦は一つ心になれる、この世で唯一の存在だから”です。
けれども現実は、サラリーマン川柳をご紹介します。「『今帰る』妻より返信『まだいいよ』」…背筋が冷やっとする川柳ですが、これが現実かも知れません?…もし私達が好きという感情だけを土台に結婚するなら、その土台は余りにも脆いからです。何故なら、「好きは、『あなたの…が好き』と条件があるから」です。そこが崩れたら土台が揺れるのです。人生には山や谷がありますから、そんな不安定な土台の二人が乗り越えられるでしょうか?…心配です。

ミケランジェロ・ブオナローティによるイヴの創造を描いたシスティーナ礼拝堂天井画
私は結婚前カウンセリングをします。そこで、「結婚式は、恋愛のお葬式であり、愛の誕生日である」」とお話しする事があります…昔、あるアンケートを見ました。心が一つだと感じている夫婦は何パーセント?…たった5%でした。ですから結婚は、信仰によって神の愛(無私の愛・無条件の愛)を頂いて、相手を許し、受け入れ、補う事を学ぶ場(道場)だと思うのです…この祝福は、ご家族、隣人へと及んで行きます。
それでは、夫婦共に信仰が無ければダメじゃないかと思います…けれどもパウロは、7:4で「不信者の夫は妻によって聖められており、また、不信者の妻も夫によって聖められている」と言いました…夫婦の内、どちらかがクリスチャンで、神の愛におれば、やがて相手は、神に捉えられ救われるというお約束なのです。素晴らしい恵みです。
7:17では、「ただ各自は、主から賜わった分に応じ、また神に召されたままの状態に従って歩むべきである」…7:17、7:24に”召されたままの状態”とあります…それは、”救われた時に与えられた状態…十字架で罪が赦され救われた状態。罪の奴隷から解放された状態、魂が回復された状態”。もっと言えば、キリストの愛に満たされた新しくされた魂です…その新しくされた自分を、もっと与えてくださいと祈り求めなさいという事です…それが「留まりなさい」です。

7:23~24「あなた方は代価を払って買いとられたのだ。人の奴隷となってはいけない。兄弟たちよ。各自は、その召されたままの状態で、神の御前にいるべきである」とあります…パウロは、「人の奴隷になってはいけない」と言ったのです…つまり、「妻は夫の奴隷になってはいけない。夫も妻の奴隷になってはいけない。あなた方は、キリストの十字架の血潮によって、永遠の滅びから買い取られた尊い者だ。神から自由と愛を頂いたのだ。もう、あなたは神のものだ。だから、あなた方は、主を愛し仕えようとする伴侶を束縛してはいけない。共に主の愛に留まり、二人が一致し、神の栄光を現しなさい」と言ったのです。
ですから、教会は、未婚の方々が神の御心の相手と出会い結婚できるように祈りましょう。既婚者の方々も、ご自分の結婚を見直し聖別して頂きたいと思います。
このメッセージの準備の為、小林和夫師の本を読んでいましたら、村上宣道師の証が載っていました。娘さんが、米国のフラー神学校の大学院で学位を取られました。その論文の題が、「理想的な家庭の建設」だったそうです。娘さんは、「ただ、パパとママを見ていて、そのまま書いただけだよ」と言われたそうです。それを読んで、「私は、まだそうなっていない…心をイエス様に明け渡し切るのを阻んでいる心の傷がまだある」と示され、真夜中の悔い改めへと導かれました…「主よ、あの救われた時に、イエス様に似た者として回復してくださった新しい魂を、もっと与えてください。聖霊なる神さま、十字架の血潮で、回復された魂を、もっと与えて下さい」と祈りました。これからも祈り続けるつもりです。そこで、神の愛に生きる者に変えられる。そこから妻や夫を愛する者、家族を愛する者、神の愛を宣教する者に変えられるからです。

村上 宣道(むらかみ のぶみち、1933年10月6日 - )は、日本の牧師、ラジオ牧師、神学校教師。 経歴[編集]. 満州生まれ、山形県で育つ。東京聖書学院卒業、ウィリアム・ジェサップ大学およびゴールデンゲートバプテスト神学校にて学ぶ。 日本ホーリネス教団、坂戸キリスト教会牧師; 太平洋放送協会理事長。
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