挫折からの再起…背後の祈り
- 2015/03/08
- 19:10
マタイによる福音書26章69~75節、ルカ福音書22:32、
メッセンジャー:岬キリスト教会 千葉和幸牧師 2015年3/8
今朝は、イエス様を裏切った弟子のペテロが、主の背後の祈りによって、挫折から立ち直った事をお話します。人は皆、背後の祈り心に包まれて育ち、そして、今、生きています。この事を考えると、二人の娘の成長を思い出します。幼稚園に登園、小学校に登校した初日には、「今頃どうしているかな?」と何度も時計を見て心配していた事。卒園前のお泊まりキャンプの時には、親の方がドキドキしていたかも知れなかった事。子どもたちも不安だったと思いますが、逞しく楽しんで帰って来た事に驚き、子の成長に少し寂しさを感じた事。また四国に転任した時には、子ども達が学校に馴染めず、登校した後、申し訳ない思いで祈り心でいた事。そして受験の日には子ども以上かも知れない程に緊張していた事です。また次女は、親元を離れて仙台の高校に行ったので、いつも祈り心で応援していました。長女や母が病気の時には、岬教会の方々にも祈って頂きました。こうして今、私自身も親や教会に祈られてきたんだなと改めて気づかされています。

教会はキリストのお躰です。神の家族とも言えます…ですから、教会もお互いの為に祈り合う共同体なのです…先週も、いろんな祈りの課題がありました。手術や緊急手術を受けられた方、また受験の方、結婚される方の為に祈りました。人生は本当にいつ何が起こるか分かりません。そうした中で、自分で決断出来るもの、変える事ができるものは僅かしかありません。変えられるものは、祈りつつ神の栄光の為にベストを尽くします。けれども、クリスチャンは、変えられない事は、”信仰で受けとめて行く”のです。
例えば、”事故や病気にあった時です。初めは喪失した物を思います。そして変わってしまった人生を嘆きます。それは当然の感情です…けれども、恨みや悔やみに捕らわれ続けますと、そこでエネルギーを消耗して、生きているだけで疲れてしまうようになってしまいます。すると免疫が低下してきて健康も損なわれてしまうのです。挫折や喪失感に留まっているのも同じです。けれども分かってはいても、そうした負の思いを振り切れないのも人なのです。

”人のピンチは神のチャンス”と言われます…どういう事でしょうか?思いがけない試練の中で祈る内、「これは、別な生き方へのお神の導きではないか?」という考えに導かれて行きます…そうした中で、”自分の人生は、自分だけのものでなく、神の栄光を現す為、また誰かを励まし、誰かの希望の光となる為にあると気づかされて行くのです…そこに神が働いてくださるからです。。
今朝お話します、マタイによる福音書26章69~75節は、”イエス様が捕らえられ、冤罪を着せられて十字架刑が決まろうとしていた時の事です。ここでペテロは、「私は、あの人を知らない」と言って、主を否認したのです。初代教会が、4つの福音書、全てに自分達のリ-ダ-であるペテロの挫折を記したのは、人は皆、弱い者なので、どのように彼が、それから立ち直ったかを記す事に意味があると考えたから”でした。
主の一番弟子のペテロは猪突猛進の性格でした。イエス様が捕らえられた時には、剣を振り回して兵士の耳を切り落とした程でした。その後、イエス様が捕らえられて、弟子達が逃げ去った時、彼だけが、主の後をついて行ったのです…男気のある人でした。

イエス様は大祭司カヤパの家に連行され、夜通し裁判を受けていました…その裁判は全てが偽証でしたので、証言が一致せず、夜明けが近づいていたのです。
ペテロは恐怖と闘いながら、その家の庭に侵入して行きました…そして、たき火の周りにいた人達に混じり、裁判の成り行きを聴いていたのです…たき火に照らされた、ペテロの沈痛な顔を見た女中が、「この人もイエスと一緒にいました」と言い出したのです…”人は大きな山には躓きませんが、小さな小石に躓く”のです。先に、兵士達相手に、大立ち回りをしたペテロなのに、この”女性の一言に慌てて、「私はその人を知らない」と言ったのです。拙いと思い場所を変えましたが、他の女中にも、「あっ、この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言われたのです。そこでも、「そんな人は知らない」と言ったのでした。
二度も主を否認し、呆然自失していたペテロに、人々がたたみかけました…「いや確かに、お前はイエスの仲間だ。言葉使いで分かる」と言い、ヨハネ福音書の方では、先に耳を切り落とした、兵士の身内の者がいて、「いや確かに、お前が園で、あの男と一緒にいるのを見た」と言ったのです…ペテロは、いよいよ追い詰められました…そして、「その人の事は何も知らない」と誓ったのです…マルコ福音書の方では、「呪った」と書いてあります…どう呪ったのでしょうか?ある注解書には、この時、「もし私が嘘を言っていたら、我が身は神に呪われよ」と言ったであろうとありました。最初は思わず出てしまった裏切りでしたが、ここに来て”自覚的な裏切りとなった”のです。

詩篇41篇9節に、「私の信頼した親しい友、私のパンを食べた親しい友さえも、私に背いてくびすをあげた」とあります…これは詩篇の作者の体験談です。先週お話したように、”「同じ食卓でパンを食べる」というのは、「命をかけて、あなたを守る」という食卓の契約”であります。健康な時に、その契約をした親友に、自分が病気になった途端、見捨てられた悲しみを歌った詩です…正に、”数時間前、最後の晩餐という主の食卓に預かり、しかも「友よ」と言われていたペテロが、ここで主を裏切った”…詩篇41篇と同じ事をしたのです。
ペテロが、主を裏切り終えた時、主の十字架刑が決まり、カヤパ邸から総督ピラトの宮殿に連行されようとしていました。その時、”イエス様が、静かに振り向いてペテロを見つめられた”のです。その時、”鶏が鳴き”ました…ペテロは「ハッ」と、マタイ福音書6:33で、「鶏が鳴く前に、あなたは、三度、私を知らないと言うだろう」と言われた、主のお言葉を思い出したのです。そう言われた時には、”寂しかったけれど、今は、自分の弱さを思い知らされて男泣きに泣いた”のでした。
”思いがけない挫折は、本当の自分に気づくチャンス”とも言えます。けれども、そのままでは挫折のままなのです…”人のピンチは神の力によって、神のチャンスに変えられ”ます…その神の力が”聖霊という神の命”なのです。
聖霊はペテロに、最初に、”人の意志や力の限界を示し”ました。”次に、振り返って彼を見つめられた、主のお心を教えられた”のです…主の眼差しは、”「ほら、お前は、やっぱり私を裏切っただろう」と責めるものでなく、優しく包む愛の眼差しでした…ルカ福音書22:32「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたの為に祈った。それで、あなたが立ち直った時には、兄弟達を力づけてやりなさい」…イエス様の「お前の弱さは分かっていたよ。だから私は、あなたの信仰がなくならないように祈ったのだよ」という、主のお心に気づかせてくださった”のでした。

この後、イエス様は十字架に架けられました…主の死の後、ペテロがユダのように自殺せずに済んだのは、”背後の主の祈りに支えられていたから”でした。やがて復活の主に再会して、イエス様の愛の眼差しを見たペテロは、”背後の主の祈りの力に目が開かれた”のでした。
復活されたイエス様は、そんなペテロに現れて、「ヨハネの子シモン、私を愛するか?私の羊を養いなさい。私に従ってきなさい」と言って、”新しい使命を与えられた”のです。やがてペテロは、聖霊という神の命が与えられて教会の指導者になり、更に、殉教に至る迄、イエス様を愛し抜き使命を果たしたのです。聖霊なる神が背後の主の祈りの力を与え続けてくださったのです。

私達も挫折する事があります。それだけなら挫折のままです…今朝、私達は、”自分の力で立てない時こそ神のチャンスである”と聴きました…ですから今、聖霊に示されている自分の弱さを認めましょう。そこで、ルカ福音書22:32「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたの為に祈った。それで、あなたが立ち直った時には、兄弟達を力づけてやりなさい」…背後の主の祈りを信じて拠り頼んで頂きたい。そこで私達は変えられるのです…そして、隣人を力づける、希望の光となれる”のです。

マタイによる福音書26章69~75節
26:69 ペテロは外で中庭にすわっていた。するとひとりの女中が彼のところにきて、「あなたもあのガリラヤ人イエスと一緒だった」と言った。
26:70 するとペテロは、みんなの前でそれを打ち消して言った、「あなたが何を言っているのか、わからない」。
26:71 そう言って入口の方に出て行くと、ほかの女中が彼を見て、そこにいる人々にむかって、「この人はナザレ人イエスと一緒だった」と言った。
26:72 そこで彼は再びそれを打ち消して、「そんな人は知らない」と誓って言った。
26:73 しばらくして、そこに立っていた人々が近寄ってきて、ペテロに言った、「確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉づかいであなたのことがわかる」。
26:74 彼は「その人のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめた。するとすぐ鶏が鳴いた。
26:75 ペテロは「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。
ルカ福音書22:32「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたの為に祈った。それで、あなたが立ち直った時には、兄弟達を力づけてやりなさい」
礼拝インターネットライブと過去の映像 『USTREAM』岬教会礼拝

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